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宮本輝 人生の歩き方 2回
2008年03月06日 (木) | 編集 |
第2回 流転の歳月 俺は生きていられるのか

【学生時代とアルバイト】
昭和41年宮本輝は追手門大学に入学。テニスに夢中になる。(関連小説「青が散る」)。入学中に父が多額の借金を背負ったまま病死し、宮本は経済的にかなり厳しくなりアルバイトに専心せざるを得なくなる。深夜の道路工事、早朝の青果市場、ホテルのベルボーイと数多くのアルバイトをこなした。

夏にアイスクリームの冷凍倉庫でアルバイトをしたときのエピソード。夏涼しいだろうと半ば軽い乗りで、ゴムサンダルにバミューダショーツという服装で行ったところ、手鍵をもって兄ちゃんがいて、

兄ちゃん:「お前何しに来たんや」
宮本:「働きに来ました」
兄ちゃん:「どんな仕事か知ってんのんか」
宮本:「アイスクリームを出し入れする仕事です」
兄ちゃん:「まあええわ、そのまま入れや」

その後15分もすると、手足が凍りついたようになって動かなくなり、
宮本:「僕、もうやめさせて下さい」
兄ちゃん:「15分やって金払えへんぞ」
と叩き出された。身動きできずポストが倒れるような感じでドタと道に倒れた。

また、お金の節約のため苦労した、今の奥さん(当時は彼女)とのこんなエピソードも
彼女はカレーうどん、宮本はごはんだけを学食で注文する。彼女はうどんだけを食べて、残りのカレーのおつゆを宮本に渡し、宮本はおつゆをご飯にかけて食べていた。ついつい彼女はおつゆを飲んでしまってほとんど残っていないこともあったそうです。

昭和45年、23歳のとき、宮本は広告会社にコピーライターとして就職。会社勤めを続ける中、ある日突然パニック障害にかかった。電車に乗れず、狭いところ、人ごみが苦となった。
自分で自分の命を絶ってしまう恐怖にも苛まれ、何とか自分で治そうとした。

【小説家への転身】
ある日の夕立。雨宿りに地下街の本屋で文芸雑誌の巻頭小説を立ち読みした。
賢そうなことは書いてある。難しそうな言葉は駆使してある。
でも「だからどうなんだ」「こんなことご大層に教えてくれなくてもヤマほど見てきたで」、
「これが日本を代表する作家の短編か?」
と感じた宮本は、自ら作家になることを突然決意する。
公衆電話で妻に「作家になるから会社を辞める」と告げると、妻はあっさり「やってみたら」との答え。

1年で芥川賞をとる予定で、行ったことのないタイをテーマにした小説で新人賞に応募するも落選。
作家池上義一に作品を送ったところ、
池上:「君は天才や。今からすぐ僕の所へ来なさい。」
   と呼び出された宮本はすぐに駆けつけた。
池上:「だけどな。ここからここまでがいらんねん」と小説の冒頭から中盤までを鉛筆で消された。
宮本:「何するんですか。これ書くのに4日かかったんです。これが一番気に入っているんです。」
池上:「そう言うやろと思った。何十万人作家を目指す人、皆が同じことを言うだろう」
    「しかし、これがわからないと、永遠に作家になんかなられへんよ。」
   宮本はもう一度冒頭部なしで小説を読み返してみた。
宮本:「すみませんでした。」
池上:「名文を書こうとしているのが間違いなんだ。これで君は天才になったよ。」
   と言われて、全部捨てて書き始めたのが「泥の河」。これ以上削れないところまで全部省いた。
その結果、昭和52年太宰治賞「泥の河」 昭和53年芥川賞「蛍川」と立て続けに文学賞を受賞する。

◆人の転機とは本当に不思議なものですね。こんなに思い切った決断を下したとき、黙って背中を押してくれる奥さん・・・。女房の鏡ですよね。カレーうどんのお話も、糟糠の妻という印象を受けますね。

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